浴場にもたれてふける #04生野「出世湯」またお風呂させてください

日常から少しだけはみ出せる唯一の場所、銭湯。
浴場を通して各々が社会と曖昧な関係となり、つかの間の極楽を得る。
公共空間でありながら、時間の流れは自分だけのもの。
裸一貫、ワンコインで、あなたとわたしの境目である湯へ目指す。

このシリーズは、とあるきっかけで関西の銭湯情報サイトを立ち上げてやろうと、半ば勢いで東京から大阪に旅立ち、未経験ながらwebディレクターに転職した私、タスクが、日常と非日常の「境目」、その象徴だと信じる銭湯を巡りながら、そこで見かけた風景や、誰かが発したささやかな言葉のような、明日には忘れてしまう小さな出来事を覗き見するエッセイです。

 

 

風にあてられながら歩いて帰るのが楽しみになり、明らかに季節の変わり目を感じる頃、気づけば少し前に越してきたはずの場所が自宅としての役割を纏い始めた。素敵新居だと思っていた住処は、ため息と酔いを吐き出す場所にフォルムチェンジしている。少し前まで冷蔵庫すらなく、汚くなりようがないと思っていた殺風景な空間に、デザインが可愛くて飾っていたレトルトカレーのパッケージや、季節外れのラテのポーション、一昨日着た寝巻き、粘着が緩くなって剥がれ落ちたポスターやフライヤーがそこかしこに落っこちている。手に届く範囲しか掃除しないし、休みの日も不貞寝するか、むしろ知らない土地へ散歩かサイクリングしに行くから、既にどうやって手に入れたのかわからない物体が見渡すほどに溜まり、なぜか半径1m以内に未知との出会いが今か今かと順番待ちしている。

いつもよりか綺麗に起きられたある休日、身の回り全ての掃除を済ませた。いつ買ったのかわからないインスタントカメラ、学生時代に使っていた眼鏡、片方だけの靴下、とりあえず残しておいたであろうチケット、引っ越した時に捨てていったはずの書類がわんさか出てきて、一切を処分。心を洗い流すひととき、行、行、行、と唱えながら、床を雑巾掛け、全てが終わった頃には、このままヨガでもしてやろうかと思うほどであった。今ならどんな下世話なワイドショーを流されても警策で叩かれる気がしない。叩かれるはずがない。それから、長めの風呂に入る。照明はつけずに、ただ天井を眺めながら、これから銭湯にでも行くか、とはしご湯を画策したのであった。

気持ちの良い太陽と、絶妙なタイミングで吹き抜ける風に流されて、未知の土地へと散歩する。大通りから線路沿いへ、一駅だけ電車に乗って、また歩く。歩道橋から見えた青空と、イヤフォンから流れた曲がマッチして、思わず声を出した。

夕食の匂いが漂う生活路を抜け、ふと現れた銭湯、大阪市は生野の出世湯だ。今日はここで1日の終わりをやることにした。JR寺田町駅と桃谷駅のちょうど間にある、こぢんまりとした建物。隣が町中華で、日常と一緒に息づいているのがじんじんと伝わる。入口で自転車を片手に女性が語り合っていた。もう来てよかったと満足してしまう。

 

ちょうど正方形のような形のロビーには、ソファが並び、風呂上がりのお客さんたちがテレビを眺めている。少年誌などの雑誌が陳列され、多数のドリンクやアイスまでも販売している。佇まいは完全に家であり、明らかに銭湯と生活が同線上にないと成立しない空間。番台のおばちゃんにサウナセットで、と伝えると、料金は均一とのこと。安すぎる・・・・。サウナも入れてワンコインでお釣りが来る。サウナ込みの料金設定の銭湯は少なくはないのだが、こうして価格高騰に負けずにやりくりしている銭湯に、三跪九叩頭を捧げたい。こんな儀礼的なものよりも、いつどんな時も足繁く通うのが1番の礼ではあるが。

脱衣場へ。大きくはないが、綺麗にまとめられていて、さっき自宅を清掃したはずだのに、それよりも整えられている。悔しさと尊敬を携えて、浴場へと入る。

中央と上手にカランが並び、下手は正円の浴槽が連なっていて、ジェットバス、立ち湯などなどずらり。リクライニングのような形状の「クリニックバス」の正面にはテレビ。全て計算済み、ここでくつろがないで、どこでくつろげようか。一通りの準備を終えて、早速入る。体を徐々に倒して、細長い円筒の形をした枕に頭を下げてゆく。枕は冷却されていて、首筋を常に冷やしてくれる。番台で下げたはずの頭を、ここで冷やしてくれるのだ。お礼もほどほどに、まあまあそんなことはいいから存分に休んでおくれよと言われたような気分。どこまで寛大であろうか、地に頭をつけ、天を見やる。尖った口が、浴槽と同じように徐々に曲線になってゆくのが意図せずとも伝わってくる。上は冷たく、下は熱い。なぞなぞみたいなクリニックバス、ぜひ試していただきたい。

入り口から十二分に満足にしてはいるが、まだまだ楽しませてくれる出世湯。浴槽を出て奥に進むと階段があるのだ。決して大きくはないが、浴場は1階と中2階の構造で、上に進むとサウナ、水風呂、そして、露天風呂。外気浴ができる椅子まで完備している。ここまで何一つ懸念点がない。完璧なパフォーマンスを担保し続けている。外に出て見上げると、ちょうど煙突が真っ直ぐに伸びている。構図までも申し分ない。椅子に体を預けて、定期的に煙があがるのだけを眺める。少し身体が冷えるのを感じて、サウナに向かう。

間隔を空ければ6人ほどが入れるスペース。正面のガラスから露天エリアが見え、椅子の空き状況が確認できる。外気浴スペースに空きがあるかどうかは、その時になって思い出す結構な問題だ。どれだけ我慢してサウナから出ても、座る場所がなくて1回を無駄にしてしまうことが往々にして起こる。空きがなく立ち尽くす利用客を見ては、持たざる者との違いだ、と内心勝ち誇った気持ちになるぐらいの小物の精神性だが、自分がその立場になると、急激にどうしていいかわからなくなり、当てもなく浴場を彷徨い、まだ入っていない浴槽に浸かり、人の流れを監視しては、頃合いを見て外気浴スペースに戻って座るのだが、そこでも落ち着かずまたサウナに入ってすぐに出て・・・など、明らかにリズムが崩れてその日1日しょんぼりしてしまうので、気持ち的には引き分けとさせてもらう。とにかくサウナ室から空きを確認できる、という環境が、ほとんどのお客さんのリズムを整えていて、それが影響するのか、サウナ室と水風呂も上手く循環するものだから、どこにいても快適に過ごせるのである。お客さん同士の配慮もあって、譲り合って利用しているのもまた良い。一瞬の会話であったが、それは番台に立っていた物腰のやわらかいおばちゃんのおかげだろう。みんなで毎日利用する生活の一部みたいな場所だから、それはそれはとてもとてもマナーが良いのであった。

だらだらと思案しているうちに10分ほど経ってしまった。一旦出て、汗を洗い流して水風呂へ。サウナ室の真横に設置されているから、サウナ→水風呂→外気浴の1セットが、数歩で完結できる。そして、中2階という独立スペースに集められているので、気が紛れることなく楽しめる。「快適」という計算式の答えが、そこらじゅうに散りばめられていて、どこにいてもただ楽しいのだ。水風呂も16℃強だろうか、冷たすぎることもなく、いい塩梅の深さでそのバランス感に怖さを感じるほど。極め付けは水分補給用の蛇口だ。通常のものより、低い温度に設定されていて、本当に全てが半径1mで完結する。ふと自宅のことを思い出して、どこが整理整頓清掃清潔なんだとアホらしくなってしまった。私が頭を下げなければならないのは、ただ酔いを覚ます場所としてしか機能していない自宅のことであった。もっと自宅を敬いましょう、その日常があなたを出世させますよ。出世湯は、そんなことを伝えてくれた気がした。

建物の看板を見て、これはこれは大層なお名前を付けましたね、などと実は最初から小物感を発揮していた少し前の自分を改めたい。中2階から1階を見渡しながら、甲高い声をしたもう一人の私が、これが出世であると脳裏に囁いてきたのを非常に後悔する。些細なところまで行き届いた配慮と、利用客のマナーによって、心身ともに悪い気を洗い流してくれたのである。「出世」という言葉は、自分には合わないといつからか思っていた。他人をぐいっと追いやって、損得だけで動いて暮らす。出世して稼いで生きるのが男だ、みたいな言葉を聞いた時、寒気がした覚えがある。そんなやつに誰がなるかと。臭いものに蓋をして、偉い人に認められることが、果たして自分にとって楽しいのか、何にもならないじゃないかと。なんだかそんなイメージを持ってしまっていた。

拡大解釈且つ甘めの理想でしかないが、「出世」は、誰かにまた一緒にやろうねと思われることの連続だと思う。その一言の積み重ねで、人が増え、スケールが大きくなり、認められ、気づいた頃には周りに多くの人がいることなのでは、と思う。上に立つのではなくて、中心にいる。気づかなくてもいいこと、あれば嬉しいこと、助かることを隅っこでもできる人こそ出世に相応しい。甘すぎる結論ではあるが、それなら出世という言葉にも希望が持てる。この銭湯は、その言葉をそのまま浴場にしたような場所だった。また一緒にお風呂させてください。

風呂場を出て、出口に向かう途中、番台からおばちゃんが、

「またきてね」

と私に呼びかけた。彼女からすれば、なんてことない日常の一言であろうが、その一言でほんの少しだけ目頭が熱くなった。とりあえず自宅から綺麗にしよう、その範囲を少しずつ広げていけばいいのだと、陽気に帰宅し、日付が変わる頃には部屋いっぱいにビールの空き缶をばら撒いたまま寝床についたのであった。

 

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